Disco Time machine - Back

The CIRCUS ROPPONGI
Trip to the CIRCUS 2005.4.29 at目黒食堂 CLUBZONE

At Midnight:唐文智氏のMCより

サーカス復活Night,皆様楽しんで頂いているでしょうか?16年に1度です。Barではビールが無いとか釣銭が無いとかいろいろと問題がございますが、16年に1度という事で皆様お許し下さい。
そして本日のサーカスナイトは、当時の主力DJが集合という事で、ご紹介します。まず、DJ Koji Nakamura、初代チーフ DJ Matsushita、レジデントだった今はすごい活躍している DJ Kensei 、2代目チーフDJ Takada、そしてサーカスの後,R?hall、目黒食堂まで一緒にやっていますレジデントDJ Kataoka、そんな16年前からの主力DJの協力によって今日の一夜をお送りすることができました。では、今日は最後まで楽しんでいって下さい。


唐文智氏からのメッセージ
ブラックミュージック旋風を巻き起こした、伝説のザ・サーカス六本木が一夜だけよみがえる。

Time trip to THE CIRCUS
15年の歳月を経て、伝説は蘇る。ザ・サーカス六本木の歴代のレジデントDJ達が一同に会し、当時を彷佛させる一夜を開催。ブラックミュージック の歴史をひも解く日本屈指のナビゲーター達が、みんなをブラックミュージックの箱舟に乗せ、あの黄金の時代へと連れて行ていく。
The DJ`s
Matsushita / Takada / Koji Nakamura / Kensei / Tetsuya Kataoka

ブラックピエロ伝説再び

80年代、ブラックミュージックがアメリカを、そして世界をも席巻することになった輝かしい頃、日本では多くの無名のダンサーたちが夜ごとサーカス六本木のダンスフロアに繰り出した。月曜日だって、金曜日だって、いつだってサーカス六本木の夜は激しいビートと人いきれであふれていた。新しいソウル・グル?“ニュー・ジャック・スイング”のエヴァンジェリストでもあり、ストリートのファッションリーダー
だった彼ら、彼女たち。その中から、やがて多くのスターが生まれた──。
サーカス六本木のダンスフロアは、まさしく未来へと続く回廊であったのだ。
あのダンスフロアから、現代の日本のR&Bが、ヒップホップが生まれたと言っても過言ではないのだから。70年代NYのスタジオ54、80年代英国マンチェスターのハシエンダなどのように、ザ・サーカス六本木は間違いなく当時の日本を代表するクラブだった。だから、ボビー・ブラウン、キース・スウェットを始めとした多くのビッグアーチストが来日のたびにサーカス六本木を訪れたのだ。そのサーカス六本木が一夜だけよみがえる。あのダンスフロアでギャラリーを魅了し続けたダンサー、アーチストたちが再び相まみえるのだ。あの喧噪が、あの興奮が、あのグルーヴが、あのスリルが、今、まさに時を超えて再受肉するのだ。

京都在住 岩田氏所蔵

スペシャルインタビュー

今回は、特別企画として、DINING&BAR 目黒食堂のオーナー唐文智氏のインタビューをお送りします。唐文智氏は、The CIRCUS Roppongi , Rhall, R!など、数々の商業空間プロデュースをはじめ、コンサート、サウンドプロデュースなどを手がけておられます。

ディスコ・タイムマシーン(以下DTと省略):
それでは、スクエアビルの頃のお話からお聞かせ頂けますか?
唐文智氏(以下TBと省略):
その頃は、ブラックミュージックのパワーが落ちてきて、またブレイクする寸前だったんです。
先ほど話に出た様にボビーブラウンとかMCハマーなんかの手前っていうのは、ビルボードの上位を占めるのは、みんなポップス系だったんです。
それがあの時代から、ブラックミュージックがビルボードの上位にもグイグイと入ってくる様になったんです。明らかにブラックミュージックがブレイクする年代だっていうのはわかってた。ちょうど今みたいに趣味が多様化せずに大きな波がくる時代でした。
まあ同年代では、ブラックだとサーカス、ユーロビートだとマハラジャ、テクノだとジュリアナ、ハウスだとゴールドなんていう大きな流れがあった頃ですね。ちょうど今若者たちがクラブなんていう、ディスコからクラブに変換する時代だったと思います。大きな波もくずれる時代、そこから新しい波も生まれる時代だった様に思います。

DT:確か89年とかそんな頃だったのではないでしょうか。
TB:そうですね。ハウスもなんとかハウス、ヒップホップもイースト、ウエスト、オールドスクール、ミドルスクールなど90年位から細分化されていきました。ちょうど、ディスコからクラブに変わっていった頃です。Rhallを作ったのは93年でした。当時ステージのあるクラブは無かったんです。ライブ対応のクラブでした。そこで台頭しはじめたのが、日本語のラッパー!

DT:サーカスが出てくる前っていうのはカーティスブロウ、シュガーヒルギャング、フーディニなどの人気が落ち着いちゃって少し盛り下がったような感じだったかもしれませんね。
TB:アメリカでは、ずっとラップやヒップホップが主流で、日本ではちょっと難しい音楽だったと思いました。それはラップっていうのが音楽じゃないっていうのがずっとあって、定着するのに時間がかかったんでしょうね。

DT:今ほど情報を得やすい時代じゃなかったですからね。それはサーカスが出てきて、その後のボビーブラウンの大ブレイクに至るまで音楽、ファッションに至るまでのブームというのは、やはり大きな流れを作ったのではないでしょうか。

DT:4月29日のお話をお聞かせ下さい。
TB:初めてリバイバルナイトやります。15年で1回みたいな。次は15年後かな?みたいな...
DT:ご自身もターンテーブルを回されるんですか?
TB:そう、この日は回しますよ。今ここを通った彼、彼も古くからのダンサー!
DT:そういう人のつながりっていつまでも永遠なんですよね。だから音楽って不思議ですね。
いつまでもつながっていける。僕達のテーマは人の和の創造なんです。やっぱり続ける情熱ってそういう所から来る様な気がします。

TB:僕はね、80年代前半位までの泥臭くないブラックミュージックが好きなんです。MAHOCKのコラムにも書いている様にね。良くブラックミュージックが好きっていうと、ファンクとか泥臭い感じが好きっていう人が多いんだけどね。僕は泥臭さが抜けた感じが好きなんです。

DT:それは、コラムを読ませて頂くとよくわかる様な気がします。Skip To My Lou.....フィニス・ヘンダースンでしたっけ......。
TB:あれはもちろんディスコでもブラック系でも通用するみたいなね。
DT:えーっと前々回はユーロ書いてましたね。
TB:そうサマンサジルズ!
DT:それとファットバックバンドも書いてましたね。僕は大好きなんですよ。
Is This The Future...これは大変良い曲でした。僕的には、Do The Bus Stop, Spanish Hustleの様な粘っこいのが好きなんです。でも30年位同じ曲聴いてるのにバスストップが下手なので、このサイトの「広島在住」・松尾副参事にしかられてます(トホホ) この間、広島在住・MISAKO奥様にも厳しいご指摘頂きました(涙) ファットバックは最後に出した黒いジャケットのオリジナルアルバムのラップの曲が泣けるんですよ。あ....でも思い出せない....。
サイトをご覧のみなさま、唐文智氏のコラム、読んでみて下さい。

DT:もともとは横浜のご出身なんですね。
TB:そうです。若い頃からディスコが好きでした。横浜なので、どこに行っても黒系だったんです。古い所だとアストロ、KE、リンディとかね。
DT:横浜だと、ミラクルズとかでハマチャチャを踊りますよね。あの足がつりそうになるやつ。あれは難しくて東京の人にはついていけない世界ですね。
TB:ああそれは、フリチャチャの方です。ハマチャチャとフリチャチャとあって、足がつりそうになるのはフリチャチャの方です。
DT:オージェイズとかフィラデルフィア系で、ああいうのをきれいに踊る方は多いですね。でもご自身は、どちらかというと、ブラックコンテンポラリーみたいなのがお好きなんですか?
TB:そうですね、行くぞシャカリキ!っていうのはあまり好きじゃないんです。
DT:じゃあBTエキスプレスだったらHave Some Funの方が良い訳ですね。
TB:そうそう!
DT:AWBだったら、Lets Go Round Againですね。
TB:うーん詳しいですねえ。
DT:ありがとうございます。一応ツボは押さえる様にしてます。
TB:あのへんっていうのは明るいでしょ。一つつきぬけた様な感じが好きなんです。
DT:適切かどうかわかりませんけど、サーファーというかトロピカルというかクリスタルというか.....
TB:日によって違うんですけど、店主催で、かつ僕主催のシリーズが三つ位あるんですが、その時はそういう感じのをやります。
DT:それでは最後にイチ押しの曲をお願いします。
TB:一押しはね、イマジネイションのJust An Illusion。おそらくグラウンドビートの前身と思って頂くと良いかと思います。コラムで、キャロンウィーラーを書いたんですけど、その前フリで、この曲のルーツはこの曲にあるよ...ということです。
DT:わかりました!ところで、このサイト、そして目黒食堂さんにも問い合わせがありましたが、
アド街っく天国というTV番組で、思ひ出の風景という特集があって、六本木スクエアビルが出てきて、10階サーカスが紹介されました。ご覧になられましたか?
TB:いや、僕は見ていないんです。
DT:僕は録画したので、4月29日にビデオを持ってきます。
サイトには、超レア名盤「The CIRCUS ROPPONGI featuring M.K.FRESH」をUpします。
今日はどうもありがとうございました。
TB:いえ、こちらこそありがとうございました。

2005年4月3日 DO SO BAND LIVE 終了後のDINING&BAR 目黒食堂にて