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DT副参事・筆卸し! 初の海外取材敢行!

行って来ました バ・カ・ン・ス イン Thailand  【泰系ディスコ探訪の旅・第一弾】

「結局、薬局、何処に行っても辿り着くのはいつもディスコ!?」ってか?

2009年11月のベストヒッツSTGで予告致しました通り、南へとバカンスに出かけました。

 私個人にとりまして、「軽く行って参りました」というよりも、紆余曲折の後、ホントにやっと行けました!という表現がピッタリ。渡航回数としては10回目ですが、その内9回はお仕事、つまり、初めてプライベートでの訪泰。

今を遡ること1年前、お仕事を絡めた渡航を目指しておりましたが空港占拠等の暴動発生、その後、完全解決迄には至らぬも表面上は平静を取り戻していた矢先、ゴールデンウィーク直前の新型インフルエンザ発生。渡航に際して現地とのネゴもメールにて確認、加えて電話でも記載内容以外にもコミュニケーションを取り、全てにおいてリコンファーム済み、24時間体制で完全武装し突入するが如く念の入れ様。勿論、各方面への稟議も通し、公に認めて頂いた上でチケットやクーポンの類も予約完了、テンションもグッと上がっておりましたが、偶発した悲劇にそのミッションが粉砕され、心が折れそうになりました。どうせなら、訪泰後に問題発生(出来れば帰国前夜に空港閉鎖等!?)すれば良いものを・・・などと不謹慎極まりない事を考えてしまう程、落胆しておりました。

 そんな失意の渦中、お仕事を通じて昨年の4月に出会ったMr.Chankon氏(以下C氏)からプライベートな訪泰ツアー実施の情報と参加のオファーを頂きました。C氏はタイに関しては文化・歴史・芸術等にも造詣が深く、何しろ詳しいのです・・・(/DT副参事比)、特にパタヤを行動の中心とされておられます。私は、パタヤの様なリゾートとは無縁、お仕事で行けばディスコ探訪をしている時間はございませんでしたので、即決で参加させて頂く事に致しました。

 一般的には、タイに行ったら、美味しい料理を楽しみながら有名な寺院(暁の寺院、エメラルド寺院)や歴史的な名所・旧跡(アユタヤ等)をメインの観光、プーケット等のリゾート訪問を目的とされる方が多いと思います。観光地やリゾートとしても知名度の高いタイですが、行ってみたい場所と言えば、まず、ディスコ。その点につきましてはお察しの通り、私の場合、タイに限らず世界中の何処に行ってもディスコという事になります。Disco Time machineのレポートなので、ディスコ関連のネタを記事として作成するのではなく、ディスコに行きたくて我慢出来ないという重い病に侵されている・・・が故に、今ここで文章を書いております。一言で表現すると私のDNAに埋め込まれた「悲しい性」がそうさせるのです。

 さて、C氏より渡航前から様々な心構えを伝授するメールが多数送られて参り、10月某日、事前打ち合わせの時がやって参りました。お仕事の為とは言いながら、私がDT代表に黙って上京し、千代田区大手町のとあるビルディング内のエレベータ内で遭遇してしまった、あ・の・日…でございます。(汗・・・)

 午後7時頃に同じ千代田区某所にあるタイ料理店へ移動しましたが、店内は金曜日という事もあり、既に満席状態。そこをC氏が交渉して下さり何とか居場所を確保出来ました。厨房内の方はタイ人、そしてウェイトレスの方もタイ人という事は外見から分かりましたが、C氏はタイ語でオーダーをし始めました。メニューをタイ語で言うだけなら驚きませんが、何と普通に会話をしております。C氏は仕事では普段から沈着冷静で判断も的確で早いですが、貴方は一体何者?ここまでタイ語を使えるとは正直驚きました。

 
私が広島STGで御縁があり、週末はDJをさせて頂いている事、以前から仕事でタイへ渡航する度、現地のディスコに行きたかった事をご存知でしたので、早速、その手の話題になりました。タイのディスコがどの様なものか、インターネットや情報誌で見た事はありましたが、実態は如何に?

早速、C氏にタイのディスコ事情について伺いました。

副参事:
私は以前、一度だけタイ南部、バンコクに次ぐ大都市のハジャイで偶然、別の目的で訪問したお店の2階が   ディスコで、シンガポーリアンのバンドがシックやドナサマーのナンバーをやっている場に、遭遇した事はありますが、後にも先にもそれだけです。タイ南部では石油が採掘されており、メジャー(大手石油採掘会社)の常駐する白人の方達がおられた事が一因かもしれません。日本では、70年代迄はフィリピン・バンドが入って、生音で踊っていましたので、とても懐かしく思いながら踊りました。
C氏 : 
実は、最初にハマったのはインドネシアハウスだったんですよ。インドネシアハウスで、アジアのディスコの凄さ、規模、ノリに圧倒され、それで、「タイのディスコはどうなのか?」と思い、当時は流行っていたバンコクのRCA(ロイヤルシティーアベニュー)に行きました。そこで、インドネシアディスコの打ち込み系ではないバンド(タイポップス)の心地良さも知り、訪泰の際にディスコめぐりをするようになりました。
イサーン音楽(モーラム;スロー系とルクトゥーン;アップ系)に初めて出会ったのは、タイのタクシーの中でラジオから流れてきた日本の演歌の様に切ない曲でした。それで運転手に「この音楽は何?」と思わず聞きました。「えっ?これか?これはイサーン人の心だよ」と教えられました。その時に私の中で何かが共鳴し始め、それからイサーン音楽にハマり始めました。でも、イサーンディスコに行けるようになったのは、ごく最近で、それまで行きたくても行けない状況が続いていて、現地ガイドのツテを頼りながらようやく辿り着けました。(イサーンディスコは基本的にイサーン地方のモノで、バンコクには少ないし外国人に情報が入ることは殆ど無いです。バンコクではイサーン人=田舎者、イサーンディスコは田舎者が行くディスコという位置づけです。)最初に、イサーンディスコの扉を開けた途端に全身鳥肌状態!数年来の思いを遂げることが出来ました。

副参事:
なるほど。今のお話でイサーンという単語が何度も登場しますが、具体的にどういう意味となりますか?
C氏 :
イサーンとは、タイの東北部に位置する農村部の総称で、ここに住む人はイサーン人と呼ばれタイ全土の人口の3分の1を占めます。ラオスとカンボジアに面しており、独特の方言=イサーン語を話すことや、イサーン地方の生業は農業で、タイの中で最も貧困とされており、中央タイ人、バンコクっ子からは、イサーン=田舎=貧乏という構図が未だに成り立っていると思います。
イサーン地方には独特の音楽文化があり、モーラムという民謡は老若男女問わず親しまれています。モーラムのモーはスペシャリスト、ラムは歌という意味で歌のスペシャリスト=歌手という意味になります。
最近、タイの音楽シーンではモーラムから派生したルクトゥーン(より歌謡曲に近い)と区別があいまいになっておりタイにおけるイサーン地方の音楽は総じてルクトゥーンと言われる事が多いです。
そして、イサーンディスコとは、モーラムとルクトゥーンを流すイサーン人の為の娯楽施設であり、ディスコというよりはレストランとコンサートが一緒になったエンターテインメント・プレイスです。音源は生演奏が中心で、数名のモーラム歌手が順番に歌を歌いモーラム・ダンサーが華を添えます。
モーラム=イサーン人の心であり、モーラムやルクトゥーンを聞くとイサーン人は恥ずかしがりやでも、年寄りでも勝手に体が踊りだしてしまいます。イサーンディスコでは マイ トング アーイ はずかしがらない マイ トング グレンジャイ 遠慮しない が基本でコン イサーン (イサーン人)でも、コンイープン (日本人)でも自ら楽しむことが一番とされています。

副参事:
一部のメディアで若干は垣間見る事は出来ますが、タイのディスコを曲のジャンル、客層、立地、営業形態等で分類する事は出来ますか?
C氏:
タイディスコは、私の知る限り、バンコクはまず、ラチャダー付近の大箱田舎ディスコでは、曲はタイポップス中心で、歌手がステージで歌います。寸劇あり、オカマショーあり、とタイの一般大衆向けディスコです。お店としては、ハリウッド、ダンスフィーバー等があります。次にRCA(ロイヤルシティーアベニュー)です。ここはバンコクの工業地帯を再開発した場所で、数件の大箱ディスコとレストラン等が密集しています。10代から20代前半の客層で、酒の飲み方を知らない若者が行くと、大体担がれて運ばれていきます。曲はタイロック(生バンド)、HIPHOP、ハウスと曲のジャンルでお店を選ぶ事ができます。ルート66が人気店です。それから、ハイソ系ディスコとして、バンコクのトンロー地区及びエカマイ地区に数件ある富裕層向けのディスコです。以前年末に火事が発生し日本人も犠牲になったサンティカ等です。大箱で、23時までは生バンドでタイロックの生バンドが入り、それ以降はHIPHOP系になります。この周辺には小箱のディスコ(クラブ?)もビルディングの中でひっそりと営業しており芸能人等がお忍びでやってきたりしますが、曲のジャンルはHIPHOPが基本で、お店としてはエスクード等があります。最後に郊外にひっそりと営業しているのがイサーンディスコです。ここはディスコと言えるのか謎?ですがダンスホールは無く、テーブルで食事が出来、歌手が歌っており、曲はモーラムとルクトゥーンだけで、客層はイサーン人のみです。

副参事:
C氏の若い頃、年代的にディスコでは、ユーロやハウスが流行っていたと思いますが、タイのディスコでは分類された中でどのタイプのお店がお好きですか?
C氏:
やはり、私はイサーンディスコです。ちょっと、これを聴いてみて下さい。

 
音源をC氏から手渡され聴いてみると、どっかで聞いた?というよりも、ディスコ云々は関係なく日本人なら間違いなく「懐かしい昭和の演歌」と答えるメロディーライン。何とも都会派の現役サーファーで健康的な二枚目、仕事でも切れ者として認知されるC氏のイメージからは程遠いモノでした。私は内心で、これで?ディスコなのか?!・・・何をどうすれば?全く理解出来ません。ところが、C氏を見ると俄かに笑みを浮かべながら・・・

C氏:
先程も申しました通り、お年寄りと子供はいませんが、老若男女を問わず、こういう曲でハコ全体が盛り上がって、踊り続けるのです。他のディスコとは違って所謂ダンスフロアはありませが、テーブルと椅子の間に立って踊っています。
副参事:
これで?ですか?・・・全く想像がつきません・・・こういう音源はどこから捜してこられるのですか?

C氏:
はっきり言って、日本で得られる情報は皆無に等しいです。最近はインターネットでタイのCDを買える様になりましたが、ポップス中心で、フォーモッドやチャッチャララ♪で日本デビューも果たしたアイス等ですから、モーラムやルクゥーンは未だほとんど情報はありません。独学、手探りで探しています。
私は、訪泰の度に現地のCD屋へ赴き、まるで発掘作業の様にCDを選んで買います。毎度の事ですが、店員の方から変な目で見られるか?タイ人に間違われてタイ語で話しかえられるか?向こうからすれば…相当変わった日本人ですね。最近ではタイモーラムリミックスのルーツに近付きたいと思い、原曲を探してみたりしております。
それと、タイのモーラムとルクゥーンのVCD(MV)は非常に凝っていまして、何とそのマーケットはCDの売り上げに並ぶくらいの規模があります。CDとVCDは同時リリースで、VCDはCDに収録された全曲を作るという力の入れ方です。タイVCDで面白いのは1曲丸ごとストーリー仕立てになっており、曲だけ聞いても意 味は分かりませんが、VCDを見れば曲の内容が分かりますので、見て楽しめるものになっています。
副参事:
「そうなのですか!?」(まだ全貌が全く見えてはおりませんが、そのこだわりぶりに驚愕・・・

 
明らかにアナログな音として耳には入って参りますが、自分が知る限りのディスコとはかなり遠いモノでは?・・・と思いましたが、渡航まで1ヶ月を切っておりましたので、期待と不安が入り混じり、張り裂けそうな、 き・も・ち を抑えつつ、この日は三茶の実家へと帰路に付きました。
翌日から仕事は多忙を極め、アッという間に渡航当日を迎え、広島駐在のDT副参事は、なぜか成田経由?で出発するため、東京へと向いました。

【ツアー初日:日本からタイへ(バンコク泊)】

 バンコク着が日付の変わる直前の便ですが、ツアー参加者数名と初対面しご挨拶、皆さんとてもフレンドリーです。ここでC氏は皆さんから隊長と呼ばれている事に気付きました。(以下C隊長)日本出発前に、別便で参加予定の数名が機材故障によりディレイ決定の情報が入り、波乱の予感?が致しましたが、全員タイへ無事入国。遅れた参加者の方達とも、日付が変わっておりましたが、夜明け前にはご挨拶出来ました。初日はユーロ及びハウスがガンガンにかかるお店だけを訪問、夜の街を散策し、ホテルへ戻る途中で屋台に寄り、小腹を満たし、ツアー参加者の親睦を深め初日は終了しました。

【ツアー2日目:バンコクからパタヤへ(パタヤ泊)】

 ゆっくり起きて、午前9時半からホテルのプールサイドで遅めの朝食。
昼前からお土産やお目当ての商品を探しにMBKで2時間ほど費やし、少し遅めのランチを店舗内にあるMK(タイスキ料理)で頂きました。タイを愛して止まないC隊長率いるツアーに参加する隊員(ツアーメンバー)の殆どが顔を揃え、美味しく、楽しく、しかもリーズナブルな価格にビックリ!MBKへはBTS(高架鉄道)で行きましたが、帰りは爆音を轟かせて街を疾走するトゥクトゥクという三輪車でホテルへ到着。

いよいよ荷物をまとめて、今回最大の目的地、ビーチで有名なパタヤへ向かいます。午後2時、送迎のワゴンに全員乗車。程よく効いたエアコンと前日からの疲れで睡魔に襲われ、暫く意識を失ってしまいましたが、約半分の道のりを走行中に目が覚めました。タイ自体が南国のイメージですが、更に強調する様に、国道沿いの樹木が演出してくれています。バンコク市内を抜けるのに少し時間がかかりましたが、2時間半後の午後4時半、ビーチが目の前のホテルに到着しました。

パタヤはベトナム戦争時にアメリカが作った保養地としても有名なだけあり、街中に入るとバンコクに比べ、白人の姿が多く見えます。現役サーファーでもあるC隊長は海が大好きですので、日暮れまでビーチで過す事に・・・何やら今日はお祭りの様で、幹線道路のビーチロードをパトカーに先導され、法被姿の子供達が、太鼓を下げて行進しています。暫くその光景を見てから、ビーチに降り、リクライニングチェアーで寛ぎながら、ビアシン(タイで最も有名なビール)を飲みながらのパタヤサンセット・・・美しいです・・・時刻は午後5時半、夕暮れに負けない様に、ネオンがひとつ、またひとつと灯り始めました。

今夜の戦闘?に備え、マッサージを1時間受け(200バーツ=約550円)全身の血の巡りも良くなり、リフレッシュして晩餐会が始まりました。

洋風料理から各国料理の店が軒を連ねておりますが、私を含めツアーメンバーが、タイではタイ料理以外を食べる訳ございません。オープンカフェ方式のお店で、適度なアルコールと美味しい料理でお腹もイッパイになり、各隊員はそれぞれのミッションに出撃、私も戦闘モードに切り替えです。

アドバイザーとしてのC氏は懇切丁寧ですが、戦場?におけるC隊長は厳しい指揮官としての一面もあり、新兵でも己の行く道は自らが切り開かなくてはならないのが、このツアーに参加する隊員の掟。(生命に危険が及ぶ緊急時は除く)

パタヤでも初日のバンコクと同様に、最初はDJが打ち込み系を流すお店へお連れ頂き、視察しましたが、アナログな私には頭の痛くなるこの音、迫り来る頭痛に耐えながら、自分でガイドを雇い、DT副参事として目的のディスコへの突入に向け行動開始。日々、刻々と変わる現地情勢の把握等、地場情報に精通したガイドの同行は不可欠です。

私がお店から出て来ると、C隊長は、すぐ目の前のオープンテラスにおられ、既にガイドを伴いビールを飲んでおられました。

「隊員DT副参事、これよりパタヤのディスコに突入イタシマス!」
「DT副参事隊員、ミッション成功に向け、健闘を祈る。くれぐれも気を抜かないように!」と激を飛ばして下さいました。

さて、時刻は既に午後11時。それにしてもウォーキングロードは金曜日の夜という事もあって、ものすごい人出です。ガイドの道案内で時間的且つ距離的に最短ルートを通り人の波を掻き分け進んでいると、大音量でバンドが演奏している生音が近付いて参ります。程なく目的の「LUCIFER」に到着。ロック系のバンドが入り、奥行きのあるオープウカフェ形式のお店です。中央よりやや奥側にステージがあり、外国人では白人系の方達が多く、100名強の入りで少し混雑している感じです。レイアウトとしてはテーブルと椅子が設置されていますので、日本に存在する飲食可能なライブハウスの様に見えます。しかし、座っている人は殆どいない点と、バンドに向って演奏を楽しんでいる方が極少数おられるものの、それぞれが音楽に身を委ね、その場(椅子とテーブルの間のスペース)で踊ることを楽しんでおられます。それは、明らかにライブハウスとは異質の空間という事は現場で良く分かりました。バンドは、ヴォーカル、ギターベース、キーボード、ドラム、DJという編成ですが、お客様にディスコとして楽しませる為?か否かは不明ですが、意図としては、お客さん達の踊りを止めない為にその曲が終わっても、グルーヴを切らさぬ様、リズムボックスで曲のテンポが違っても次の曲へ繋いでいる様に見えました。

 気が付くと午前2時、ほぼぶっ通しで踊り続けましたので、私もガイドの方も汗だく。お腹も空いてきましたので軽く食事をとり、明日の事も考えホテルへ帰着。シャワーを浴びて午前3時半に就寝致しました。

【ツアー3日目:終日パタヤにて(パタヤ泊)】

 目覚めると既に午前10時。

ちょっと寝すぎた感もありますが、6時間は熟睡したので頗る体調も良好。

C隊長へ電話をすると既にお出かけになられたとの事でしたが、オープンカフェのタイ料理店で待ち合わせ、別の隊員1名を伴っておられブランチをとることになりました。

C隊長と別の隊員1名はパタヤ在住のご友人を訪問されるとの事でしたので、私はのんびりパタヤのビーチと街を満喫させて頂く事に致しました。

 街を歩いていると大きな海老やイカを焼いて売っており、潮風と共に美味しそうなシーフードの匂いがオープンカフェや屋台から漂ってくる中で、ロッド・スチュアート、トト、ケニー・ロギンス等の懐かしいナンバーが聞こえて参ります。

やはり、アメリカの保養地として出来たビーチ・・・などと思いながら、砂浜に下りてビーチパラソルとリクライニングチェアー、ビールを片手にボーっとする時間…何という贅沢。

歩き疲れてはそれを繰り返し、夕暮れが迫る17時にまたもやマッサージへ。気持ち良さと裏腹に、寄る年波を嫌悪しながらも、今夜の出撃にテンションが上がって参ります。

午後6時に隊長から電話が入り、午後7時に某オープンカフェに集合命令が出ました。

到着すると別の部隊の隊長格のM氏が来ておられ合流。食事をしながら、C隊長より本日の任務はイサーンディスコへの突入という事が通達されました。二人の隊長格と隊員K氏、そして私の4名による決行です。それぞれが、バイクタクシーに乗車し目的のお店に近いエリアまで来ましたが、昨夜のビーチロードから近いウォーキングロードの雰囲気とはかなり違います。早速、ガイド探しに着手、部隊の4名とガイドを含む総勢8名が1台のソンテオに乗車し目的のイサーンディスコへ向いました。

※ソンテオ〜荷台部分に乗車可能な対面型の椅子が取り付けられているピックアップ型トラックで、パタヤではタクシーやバスとして利用される身近な基幹交通手段 

 そして、目的のお店Tamnan Kon-E-San(=イサーン・人・伝説)へ到着。

決して危険な目には会っておりませんが、ガイドからの最新情報は重要性を肌で感じます。

午後10時半、総勢8名で店内突入。テーブルと椅子が設置され、200名程度は収容できる規模、ステージ上ではバンドとダンサーと歌手が既に盛り上がっております。この段階で我々を含め、お客様はせいぜい50名程度、外国人は我々のみです。踊っている方はおられず、着席し飲食されています。演奏されている曲は、全く知りませんが、C隊長から聴かせて頂いた、ルクトゥーン系(アップテンポの昭和演歌的な)の曲です。

耳がヤラレるような不快な音では無く、何だか懐かしく、垢抜けませんが自然な感じで耳に入って参ります。何だろうな〜この感じ・・・などと思いながらガイドの方に現地情勢を伺っておりますと、突然、聞き覚えのある曲が流れ始めました。

ディスコでお誕生日!といえばスティービー・ワンダー!と答えてしまいそうですが、それはブリティッシュロック系のビートルズ!でもなく「ハッピィ・バースデー・トゥ・ユー」。見れば、直ぐお隣りのテーブルにおられるお客様がお誕生日を迎えられた模様で、ケーキが運ばれて参りました。お母さんと子供達が揃って来られています。ディスコでお誕生日会をやっていれば、日本では赤の他人でも特に周囲のお客さんは、盛り上げてあげようとするのはごく自然な現象デシタ・・・DT副参事も大声で「ハッピィ・バースデー!・コングラチュレーション! フーフー!」と大声で盛り上げました。そして、お誕生日の娘さんがケーキに立てられた蝋燭の火を吹き消して拍手と歓声でその場は終了。

再び、ガイドと会話をしていると先程のお誕生日を迎えたテーブルの唯一の男性、お兄ちゃんから、カットしたケーキの差し入れです。皆に配るのか?と思いきや・・・私だけ?一瞬躊躇するとガイドから、きちんと頂く様、指示がありましたので、両手で受け取りお辞儀を致しました。

私は英語で、「タイ人は日本から来た見ず知らずの人間にも親切にして下さいます。その中でも貴方達の様な幸せイッパイの家族がお祝いされている席のお誕生日のケーキを頂けて本当に光栄です。」とお礼を言いました。すると、彼も英語で私に、自分が某日系企業に勤めている事や自分の会社にいる日本人について話し始めました。そして、「この店に連れてきても日本人は貴方の様な盛り上がり方をしないと思っていた。同じ日本人でもなぜ違うのか?」と質問してきました。そこで私は、「食べ物でも魚が好きな人もいれば、嫌いな人もいます。ですからディスコに連れて来て喜ぶ日本人も居れば、喜ばない日本人が居ても不思議ではありません。貴方はディスコが好きな日本人に今迄会った事がなかった。でも、今夜初めて出合ったという事です。」彼は頷いておりました。

あ!私は今日の昼間にC隊長のお知り合いに会う際に、お土産として用意していた、広島名物「もみじ饅頭」を持っている事を思い出しました。結果として同行致しませんでしたので今も持ったまま。貰いっぱなしは良くありませんから、和菓子!と日本語を使い、もみじ饅頭を呼び指し、「日本のお菓子ですから!記念にお召し上がり下さい。」と一人ずつ配りました。彼は、「ありがとう!」と握手を求めて参りました。握手をしながら私も、「有難う、初めて訪問したパタヤで親切にして下さり、今まで以上にタイが好きになりました。」そう言うと彼は満面の笑みで頷きました。国際交流なんて格好良い事は申しませんが、もっと深くお互いに分かり合えた・・・そんな気がしました。

 話をしている間にガイドの方達は既に踊り始めており、自分の席に座ろうとする私に一緒に踊る様に促してきます。仕方なく立ち上がり周りを見ると、何と8割以上のテーブルが埋まって、その殆どが踊っています。時刻は午前12時、その強烈なグルーヴに圧倒されたのと同時に、自分が初めて行ったディスコを思い出しました。深夜に向って人がどんどん増えて来る、丑の刻あたりなのにイモ洗い状態!でも絶好調!・・・暫く忘れていたあの光景。大勢の人間が楽しそうに踊っていて、そこに行くと自分も楽しくなれる。そこで友達が出来る事も、彼氏や彼女が出来る事も・・・昔は社交場としての役割を担っていた・・・ディスコってそういう場所でした。確かにC隊長の言った事が私の目の前で現実に起こっております。

C隊長へ、「音楽と人がこんなグルーヴが出せるなんて凄い、凄過ぎますよ!」C隊長は、「音源を聴いている時、副参事の表情は何だ?これ?実際に現地でどうなるか?という状態でしたから、分かってもらえて良かった。」とのコメント。ステージ上もオーディエンスの盛り上がりにテンションが高くなって来ているのが分かります。近くのテーブルの方達や全く話をしていない人とも笑顔で踊れます。六本木サーファー系に固執する私も既に止まらない状態です。

ここで、話題が若干反れますが、周りのテーブルでは踊りながら、タイ式ジャンケン(タイ式ボクシング=ムエタイではございません)をやって負けた人が一気飲み!をやらされておりますが、タイでは初めて見ました。近年は中国でさえ沿岸部の大都市ではあまり見かけなくなりましたのに・・・タイの結構有名な観光地で生き残っていたとは・・・驚きました。そして、更に客層をチェックすると、外国人らしき姿は4、5人の白人以外では我々の部隊4名だけ、という事に気付きました。

するといきなり、スローの曲になり、エ!? 目の前のガイドさんが、阿波踊りに酷似した手の動き?!で踊りはじめました。哀愁の演歌に阿波踊り?それでお父さんやお母さんらしき方達だけでなく、二十歳前後の男女も奇声を上げながら踊っています。隣のテーブルの親子も然りです。こんなディスコは日本には無かったな・・・それにしても・・・!?あれ!?これは…まさにSOULじゃないの!?

前出のお兄ちゃんが日本人はそれ程盛り上がらない国民性?と思っていた以上に、私はどちらかと言えばタイ人のイメージは恥ずかしがり屋さん?と思っておりました。グルーヴの波に乗りまくるこんなに大勢のタイ人を見た事がありません。「タイ人はこんなに凄く濃いグルーヴを持っている人達だったの?!」逆に私はその場で呟いてしまいました。六本木サーファー系とは異質ですが、アメリカのSOULと同じ様な脈々と受け継がれる「タイにおける、タイ人の為の、タイ人によるホンモノのソウル」、「リアル・ソウル・オブ・タイランド」もしくは「タイランド ソウル」(DT副参事が勝手に命名)をイサーンディスコで見た!と思いました。

右肩を軽く叩かれて振り返ると、お誕生日会を楽しく過されたご家族がお帰りの様子、お兄ちゃんが再び握手を求めて参りました。お互いに笑顔で彼は日本語で「アリガトウ!」、私はタイ語で「コップン・クラップ!」そう言って別れました。自分が知らないタイ人気質に出会えた事、たった一人ですがディスコを一緒に楽しめる日本人も居る事を自らがお兄ちゃんに教えてあげられた事・・・たったそれだけの事でしたが、一期一会…私は胸がいっぱいになり、汗だくで踊ってはおりましたが、強烈に感動しまくり・・・久々に熱いモノが込み上げて参りました。ですから、頬に光っていたのは汗だけではなかったかもしれません。

 気付くと午前3時、まだまだ店内はグルーヴの切れないお客さんで満員状態です。でも、明日(既に今日)、昼過ぎにはパタヤを出発しバンコクへ戻らなければなりません。名残惜しいですが、これで終わりではなくて、今度また来たい場所が増やせた事を喜びにホテルに帰着。帰りのソンテオの中でC隊長から感想を求められましたが、一言、「最高でした。」と心の底から答えました。ガイドの方にも極上のタイを満喫させて頂いた事を深謝致しました。一人になりシャワーを浴びながら、そろそろ午前4時、昨日と違い神経の高ぶりに寝られるか?心配でしたが、久々のキープオン・ダンシング・イン・ディスコ・オン・タイランド・ソウルで身体は疲労困憊、ベッドに入るとすぐ爆睡・・・でした。

【ツアー4日目:パタヤからバンコクへ(バンコク泊)】

 目覚めると、既に午前10時半を廻っております。そう言えば、今回のツアー中は目覚ましをセットする事もモーニングコールを頼む事も全く無しでした。開放され過ぎ?等と思いながら、C隊長へ電話をすると、昨夜は隊長もイサーンディスコを堪能され、つい今しがた起床したとの事でした。

バタバタする事もなく荷物をキャリーバッグに詰め込み、一旦ホテルに荷物を預け、C隊長とK隊員と共にパタヤで最後の食事です。時刻はブランチというよりも、既にランチ。やはり、オープンカフェ形式のタイ料理のお店へ行きお好みのメニューをオーダーしました。ホテルに戻る前にもう一度、ソンテオに乗車し夜とは違う、昼の繁華街を散策し、午後2時、名残惜しい気持ちでいっぱいですが、パタヤを後にしました。

 ある程度、熟睡していたつもりでしたが、やはり疲れが溜まって来ているせいか、車内ではほぼ爆睡状態で、気付いた時にはバンコク市内のホテル到着寸前の16時、いつも渋滞しているスクンヴイットロードでした。今夜は、ツアーの中でプライベートではありますが、唯一のアポイント、18時から、今年の4月に赴任したバンコク駐在の方達2名と会食するスケジュールが入っております。C隊長、北海道師団のM師団長、私の3名が日本からの渡航組として出席、場所は今ツアーの最後の晩餐に相応しいイサーン料理のお店に決定。お店へ到着し、乾杯、それぞれの近況報告等、短い時間でしたが、親交が深まる有意義な時を過せました。

20時半にホテルへ帰着、この後C隊長と私以外の全隊員が深夜発の便で帰国する為、彼らの宿泊先のホテルへ移動しました。M師団長を始め帰国する全員と次回のツアーで再会を誓い固い握手の後、空港へ向う皆様をC隊長とお見送りしました。

21時前に再びホテルへ戻りC隊長と二人で最終日のミッションに向け戦闘モードに入ります。隊長は予めガイドを雇っておられましたので、私は自分のガイドを探しに夜のバンコク中心部へ単独で潜入開始。初日に周辺の地理を頭に叩き込まされておりましたので、程なく潜入エリアへ到達。迅速な行動を心がけ、今一度、隊長からの指令を思い出し、突入しようとしたまさにその時に隊長から電話?が入りました。

私の現在地を確認すると、「隊員DT副参事、既に貴殿のガイド確保完了、従ってすぐに中心地を離れ、ラマ3世通りの指定場所まで急行せよ。」との指示、即座に「了解しました。」と返答。(内心では隊員たる者、上官の命令は絶対!ってか?でも何で?と思いつつ…)英語と日本語が標記されたJAL発行のバンコク市内の最も見易い地図を広げ、目的地の確認開始。ところが、ラマ2世と4世はあるのに3世がいくら探しても発見出来ません。(後でC隊長から地図の少し外側との指摘を頂きました。)

15分が経過し、近くの屋台の方に地図を広げながらラマ3世通りの場所を尋ねましたが、見つかりません。気付くと回りの屋台の方達が5人も加わり、外国人を助けてくれようとしています。町中全てが良い人ばかりではないとは思いますが、見知らぬ外国人でも困っていると分かったら助けてあげようとする、優しいタイ人の気質に触れられました。

しかし、これでは埒が明かないと判断し、協力して下さった皆様にお礼を申し上げ、再びC隊長へラマ3世通りを発見出来ない旨を連絡。直ぐにカタカナで書かれたメールが送信され、タクシーで現場へ急行する事になりました。タイ語が完全にアウトな私は、このまま読んで通じれば良いけど・・・大丈夫か?停車中のタクシーに乗り込み、ドライバーへそのままハッキリと読み上げると、彼は元気良く「イエッサー!」。私は英語で「私が言った場所はタイ語ですが、何処か分かりましたか?」と聞くとドライバーは「分かりましたよ。」。続けて「何分位で着きますか?」と続けて尋ねると「15分位で着きます。」との事。(英語が分かる方で助かりました。)

時刻は22時過ぎ、目的のお店TAWANDANG GERMAN BREWERYに無事到着。料金の支払いを済ませタクシーのドアを開けた瞬間、ライブの生音が洩れて来ております。その曲は何度も聴いた事があり、高校生の頃にレコードも買って持っている・・・大ヒットしたあの名曲、イーグルスのホテルカリフォルニア・・・昔のPVを思い出し…間奏で格好良くダブルネックのSGを…。懐かしいのは事実ですが・・・それにしても・・・いくら何でも?これはディスコじゃ無いのでは?イーグルスなら呪われた夜・・・あたりだと踊れない事もない?ですが、さすがにこの曲では!?・・・一瞬呆然としながらも、気を取り直し、到着の連絡を入れるとC隊長自らが迎えに来て下さいました。私の「C隊長、ここもディスコなのでしょうか?」の問いに「勿論ですよ!」笑顔で答える隊長。「そ、そうですか・・・有難うございます。」(心の中では、いくら何でもこれが?!って全然ルクトゥーンじゃないし)

 お店はその名の通りビールが売りのビアホールという感じで、400から500名を、収容可能な大箱。店の一番奥にステージがあり、音響もグッド、しかもステージ上のモニターが大スクリーンに映し出されております。既に一部では踊り始めております。照明をコントロールし、目立つ踊りをしているお客様、盛り上がっているグループにスポットライトを当てたりして、お金をかけた都会向けの洗練されたお店です。ボーイズタウンギャングの君の瞳に恋してる、ヴィレッジピープルのYMCA等、洋楽やタイで流行っている韓国のポップスも交えた新しさを取り入れたイサーンディスコと言えると思います。ガイドの方達も洗練されたファッションなので、パタヤよりも首都バンコクには似合います。それでも、店内の色々な場所で殆どのお客さんが踊っておられます。中にはステージから遠くはなれた場所で、ジルバやチャチャを踊る白人カップルがおられ、ディスコという事は良く理解出来ました。このお店のお客様のグルーヴ度チェック!という訳ではございませんが、ステージ近くのテーブル脇で踊っている若い女性グループに接近し踊ってみましたが、「変なオジサン!」と失笑される事など全く無く、一緒に違和感無しで楽しく踊って下さいました。やはり、タイ人にはグルーヴ有りの方が沢山おられる事が検証出来ました。因みにこのお店はC隊長も初めてで、現地情報から、是非訪問したいターゲットにされていたとのお話でした。

 午前1時になり、我々二人も翌朝6時(5時間後!デス。)にはホテルをチェックアウトし、スワンナプーム国際空港へ向け出発しなければなりませんので、撤収。

 荷物を整理し、少し仮眠をとった程度でホテルをチェックアウト。道路も混雑せず、予定時刻前に到着しましたが、さすがにアジアのハブ空港として一翼を担うだけあり、思った以上に大勢の人で出国審査に時間を要しました。朝食を急いで摂り搭乗し、爆睡モードで成田空港に到着、これでMr.Chankon氏が隊長として主宰する今回のツアーも全員が帰国し終了です。成田で入国審査を終え、今回のツアーお誘い頂き、DT副参事としては予想を遥かに上回る収穫が得られた事へのお礼を申し上げ、次回には更に楽しめる様、羨望のタイランドへの想いを胸に固い握手をして別れました。

 10回目にして、初めてプライベートで訪れたタイは、ディスコを通じて様々な形で、沢山の方達と出会えました。当Webにおける理念「人の和の創造」、それを念頭に置き、行動致しましたが、バンコクとパタヤでの一期一会を思い出すと、この原稿を書きながらも、現地で親切にして頂いた事、お世話になった事、一緒に楽しめた事等、何度も胸が熱くなりました。4泊5日はアッという間に過ぎ去りましたが、DT副参事としても私個人にとりましても得るものが沢山あった極めて充実した内容になりました。この1年は何度も様々な問題の発生でタイへの渡航が叶いませんでしたが、逆にこれ程迄の人材と環境に恵まれたおかげで、私にとってはまさにベストなタイミングだったと思います。

このレポートはタイトル通り‘第一弾’です。まだ、タイには別のお勧めディスコが存在している事も分かっております。次回は現地調査の実施は勿論ですが、現地で日本のディスコについても紹介し、相互に収穫のある内容とすべく、音源を持参し情報交換も試みようと思います。更にアジア圏で、もっとディスコ文化を知らしめ、交流出来る一助になれる様、微力ではありますが今後も邁進して参ります。

 末筆になりましたが、今回のツアーに参加された皆様、お疲れ様でした、深謝申し上げます。特に多数おられたツアー参加者の中で、ただ一人のディスコを中心にミッション遂行を目指した私に、多大なるご尽力を賜りましたC氏におかれましては、今後もご指導ご鞭撻の程、宜しく御願い申し上げます。

(2009年11月 DT副参事)