Disco Time machine - Back

連載第四回

REUNION
SOUL INN Afro-rake
at Piano & Cigar Bar VIBES

M. YAMAGUCHI - S. SAWAMURA - M. IKEDA - T. KONNO
Special Guest M. TASHIRO

ディスコ・タイムマシーン(以下DTと省略): 麻布十番「Piano & Cigar Bar VIBES」に永遠の不良少年達が集結しました。ご覧の通り、ナオミ・グレースさんの魅力的なボーカルとピアノの生演奏で、既にBPMも絶好調となっております。今回はインタビューというよりも特別企画という事でノンストップ・ミックスでお送りします。まずは、このウェブサイトをご覧になっている方にもファンの方が大変多い、マイケル池田さんお願いします。

マイケル池田氏: そうですね、この話からしましょう。現在、「ビブロス」の澤村社長がやっておられる「青山キサナドゥ」に行った際、昔、私がやっていた「六本木キサナドゥ」の頃のスタッフだった方から突然声を掛けられて驚いた事があります。自分でも忘れかけていましたから。
ディスコについて語っていいですか?
私が当時の「キサナドゥ」から「梅田マハラジャ」に来た時、オープンして3ヵ月間お客さんが全然入らなかったんです。その時に、側近のマネージャーから僕が東京から連れてきたメンバーに「東京の者がきて大阪の地がわからないのに(お客さんが)入る訳ない」って言われたんです。75日目に「マイケルさん、本当に大丈夫ですか」って言われました。それでね、「船頭がグラついていたら、みんなどうするんだ。その為のコンセプトっていうのを、形が出来るまではみんなは認めないけど、形が出来た時にはじめてその店ができるから、心配するな」と言いました。「90日目からお客さんが入るから目先の売上げに拘るな」・・・そして成功しました。
私は思うんですけど、音楽にはいろいろなジャンルがありますが、社交場としての人と人の出会いがある所として捉えているんです。その中には、ルールを作っちゃいけないと思うんです。当時のマハラジャにはルールがあってね、スロータイムも1日の中でかけないで、ずっとアップテンポ。それは1日の営業の売上を考える為に、お客さんをどんどん踊らせて最後の電車に間に合うようにするという事なんです。それと男性客と女性客を差別化していましたよね。それを私は梅田マハラジャで、無しにしちゃったんです。だってそういうルールがあったら「男と女の出会い」って無いじゃないですか。それで2曲か3曲、必ずスロータイムをわざわざかけていたんです。だって一番声を掛けやすいのは、ガンガン踊った後で暗転した時じゃないですか。ライトが暗くなった時だと断られても周りにわからないでしょ。そういう出会いを一日の営業の流れの中で必ず作っていこうと。
私はDJに対してもね、うーん・・・一番難しいのは、DJは「職人さん」が多いんです。ターンテーブルで±(プラス・マイナス)があるのをご存じですか?ノーマルでかけたり、プラスでかけたり、マイナスでかけたり。目盛りがあるでしょ。ブラック系の曲をかけるテンポは、ボーカルの音が変わらない程度に、ピッチ・コントローラでわざと+2位でかけていました。なぜかっていうと、R & Bを聞いて育った人間と、東洋の人間である日本人はリズムの取り方が違って腰でリズムがとれないから、プラスにしろといって「縦ノリ」にしちゃったんです。
それから調理場の人達と一緒に、「マイケル茶そば」とか、いろんな名前をつけたメニューを作ったんです。僕はその店のオープン前に、ディスコだけじゃなくカフェバーから料理屋から流行っているお店を全部見に行きました。スタッフにも流行っているメニューがあれば探してこいと・・・「決まったら自分の名前をつけてあげるよ」ってね。「赤松うどん」とかね。発想がね、若いコと違うもんでね、調理場の人達とも仲良くしてね。
このあいだ、中野英雄さんと話したら「『一世風靡』は全員、マリオさんがいたから今があるんです」って言っていましたよ。
ヒップホップは若い人しか行かない店、飲む人、外人が行くお店、形が決まっちゃっているんですよ。その中に音楽を中心として主観、快感、いろんなふれあい、社交場としての店が良いですね。大人の人達、飛び入りのミュージシャンもふらっと立ち寄れる店としてね。

DT: (この写真)左側が澤村社長ですね。

ビブロス 澤村社長: はじめまして。

ナオミ・グレースさん(ジャズ歌手): 10代の頃から、アフロにしてダンスを踊っていたという事を教えて頂きました。澤村社長はダンスがうまいんですよね。私、一度一緒に踊りました。私どうすればいいのかしらってね。

♪Live: 「アマポーラ(ひなげし)」

DT: お店のパーカッションの方、ムゲンに出ていたそうですよ。マリオさんもパーカッション、ぜひお願いします!!

マリオ山口氏: じゃあ、俺はコンガでいいから。

♪Live: 「どうぞこのまま、どうぞやまないで」

マイケル池田氏: ところでね、マリオさんとの出会いはね、おもしろいんですよ。僕が原宿の「ゲットレディ」というディスコにいた時に、紺野さんが縁をつくってくれたんです。その後マリオさんの「アフロレイキ」に行った時にいたのが澤村さんだったんです。彼はダンサーでした。彼と私でダンスを踊っていました。彼は「ルーファス」というダンスチームで全国を回っていたんです。私は、かたせ梨乃さんのラオックスのCMの振付を西条先生などと一緒に作ったりしていました。私がダンスをやっていた頃の仲間として元ジャニーズ事務所の「ジャPAニーズ」、「トミーズ・カンパニー」のトミーとか乃生とかと一緒にやっていました。その頃、清水健太郎さんとの縁で、ダンスを教えて欲しいという関西から出てきた方で、テディ団さんという方がいました。私が2週間教えたんです。それでイギリスで開催された世界ディスコダンス・コンテストで彼は優勝したんです。団から国際電話で「師匠!優勝した!」 って・・・電話が来た時には冗談かと思ったの。「えっ 本当!」ってね。
今、私がこうやってあるのは、マリオさん、紺野さん、澤村さんと知り合って、本当に踊りが好きで・・・原点は簡単なのです。女のコにモテるかなっていうのが原点なんですけどね。私はカウンターにいた頃、女のコとあんまり話ができなかったんです。学生時代は硬派というよりは、ワルだったんで、女のコとは恥ずかしくて、なかなか話ができなかったですね。 今、東京に戻ってきて5年なんです。それまで九州の方にいたんですけど、ある方から「東京にまた出て来いよ」と言われて出てきたんです。それで「ちょっと見ないうちにあか抜けなくなったな」って一言があったので、最新の情報を全部自分で調べてセンスを磨きました。若い人たちの中に順応して、もう一回若い人達の中に入っていくには、若い人達に溶け込んで友達になっていこうと思い、みんなと友達になりました。だから僕は彼らにも感謝しているんです。音楽はグローバー・ワシントンJr.とかクルセイダーズ、ミニー・リパートン、ギャップバンド、ホイットニー・ヒューストンが好きですね。そう、ボディガードっていう映画がものすごく好きでね。久保田利伸とか・・・あぁ、いいなぁと思いますね。ジャンルはやっぱりソウル・ブラック系が好きですね。2パック、スヌープ・ドギードッグ、ドクタードレ、とかね。
ディスコっていうのは音楽がかかる社交場だと思っているんです。人と人との出会いであり、情報発信であり、ルールはあるようであっちゃいけないんです。毎日空気が変わりますから。そのルールを決めちゃうとあとは小手先のテクニックになってしまいます。お立ち台とか曲のつなぎとかね。プログラム的なものは一つのブームであり、ディスコ本来の持ち味とは違うと思います。そういうものが、ディスコをダメにしたっていうのはあります。だからみんな一時期、カフェバーとかそういう所に流れてしまったんです。

映画の話をしましょう。
きっかけは、友人とはなしていた時に「マイケル、生まれ変わったら何になりたい?」と聞かれたんです。少し酔っていたので「いやぁ、日本は大嫌い!できたらハリウッドでロバート・デニーロかな?」って冗談で言ったんです。次の日、朝8時半頃に迎えに来たんです。「誰かな?」って言ったら、その友人でした。ジムにでも行くのかなって思っていたら、ある制作会社に連れて行かれて社長とお会いしました。「僕の大親友なんで、頼むから明日から主役に使ってくれ」と・・・一体、何を言い出すのかと・・・それがきっかけですね。
「マイケル、こんど俳優やるんだって?」忘れもしない去年の3月10日、澤村社長のお店で150人のパーティをやってくれたんです。ニューヨークのラップグループ「ウエスタン・グルーヴ」。唯一の日本人のメンバーが九州・小倉の僕の後輩なんですけど、ゲストで来てくれて歌ってくれたんです。清水健太郎さんも来てくれて「失恋レストラン」とか歌ってくれたんです。みんなが応援してくれ、みんなが私を支えてくれているんです。
みんな小さい頃は、野球選手になりたいとか夢があるじゃないですか。ある程度大人になったら、夢と経済とはかけ離れるからバランスをとろうとしますね。本当に夢が現実になる人と、夢が夢で終わる人がいます。本当に真剣に役者さんをやっている方に失礼だから、私は与えられた仕事は一生懸命やろうと。一年半役者をやり始めて、動機は友人が作ってくれました。
9月16日から9月24日の午前5時30分に撮影が終わりました。監督は森山政さん(田代まさしさん)、総監督は山本集さん、日本画家の方です。タイトルは「実録 なにわ女侠伝」。主演はホリプロの馬渕英里何さんです。キャストは他に、嘉門洋子さん、木下ほうかさん、榊英雄さん、清水宏次朗さんです。12月25日に発売されます。
それでは、田代さん、映画の話をお願いします。

田代まさし氏: 山本集先生の原作で、実際に女やくざになった方がいらっしゃって、その女のやくざを描こうというお話です。親分の為に全身墨を入れて最後は仇を討つということなんですが、先生が経験している事は先生しかわからないという事で、総監督で山本先生がいらっしゃるという事です。そして僕が監督です。先生はとても厳しくパワフルな方なんだけど、最後に「お前は良く頑張った」と言われて、良かったなと思いました。「実録 なにわ女侠伝」、GPミュージアムから発売となります。マイケル池田さんは女やくざが入る坂東組のナンバー3です。なかなか良い役で厳しくもあり、やさしく目をかけるという役です。マイケルさんとは何本もやっていますけど、マイケルさんが僕と共通する所は、おたがい不良だったという事ですね。そういった部分で僕らの世代の不良って、今と違ってもっと暖かみがあったなという事なんです。そんな訳で今回の役、マイケルさんは演じやすかったかなと思うんです。

DT: ところで紺野さん、「一番不良っぽい」っていう話なんですけど・・・

紺野慧氏: 女かと思ったでしょ?名前から女性と勘違いされる事もあるんですよ。ソウル好きな人って不良かマニアックな人だからね。

DT: 先程は、名著「ソウル・ミュージック・イン・ジャパン」にサインをありがとうございます。10代の頃から著作、本、レコードの解説を読んで存じ上げていただけなので、もっと大学の先生の様な方を想像していたのですが・・・こちらが紺野さんですよね。

紺野慧氏: そう、店は「ルーファス」。これ、俺かな?

田代まさし氏: ところでね、黒人は昔、成功するには、スポーツ選手になるかミュージシャンになるかっていう事があって、そこに共感できる部分があってね。僕も昔、不良だったし貧乏だったしね。一番好きなミュージシャンっていうのは難しいんだよ。曲で言うとパーシー・スレッジの「男が女を愛するとき」。泥臭いのも好きなんだけど、都会っぽい軟派っぽいのも好きなんですよ。音楽って「音を楽しむ」と書くじゃないですか。例えばミディアムの曲でも、悲しい時に聴いたら悲しく聞こえるし、楽しい時に聴いたら楽しく聞こえる。そういうのが音楽だと思うんですよ。だからその時の自分のバイオリズムによって好きな曲って変わるし、感じ方も変わると思います。
不良で「歌う」って特別だったし、ステイタスだったんだよね。ソウルを歌ったり踊ったり、黒人達は本当の不良から上がってくるしね。アカペラやるのに、洗練されたコーラス部じゃ違うんじゃないのって、「ゴスペル・シャウティング」っていうんだけど、陶酔してこう降りてくるみたいなのね。黒人のあのリズムでね。ちょっとズレることによって、「倍音」って言うんだけど、切れ目がハモなんだけどね。ちょっとのズレによって、もう一人居る様に聞こえるんだよ。倍音が聞こえるって言って「あれっ、もう一人いたかな?」って感じ。そしてコーラスで合わさることでね、違う音が生まれるんだ。コーラス部だと混声合唱団みたいになっちゃうんだよ。イラストレーターの湯村さんとか永井さんとかに「なんでシャネルズがいいの?」って聞いた時に、「コーラスが微妙にズレるのが非常にいい」って言われた事があります。だから黒っぽいんだって。誉められたんだか、けなされたんだか、よくわからないんだけどね。シャネルズは「笑い」もできる、そんなグループは滅多にいないと・・・ショウの中でも声だったり、決めの振り付けだったりね。

DT: ミュージシャンとしての田代さんも、ファンはみんな待っていると思います。本日はお忙しい所、ありがとうございました。


マイケル池田氏 逝去
 六本木アフロレイキを起点とし、新宿ソウルトレインを経て、六本木キサナドゥ店長、マハラジャ梅田店長として多くの方達に親しまれ、実業家、プロデューサーとしても活躍された、マイケル池田氏におかれましては、2007年11月11日未明にご逝去されました。
ご冥福を心よりお祈りすると共に、謹んでお知らせ致します。

 通夜は11月17日、告別式は11月18日 東京・臨海斎場にてしめやかにとりおこなわれました。当時のディスコ・ミュージックが静かに流れる中、江守 藹氏、テディ団氏、ラモス瑠偉氏、宇治田みのる氏、末木強氏、マハラジャOBの方達など各界著名人が多数参列し、作家・音楽評論家の紺野慧氏、澤村進氏などの感動的なメッセージが涙を誘いました。

 紺野慧氏のメッセージに込められた、5人で車に乗って上京し、ひとりだけアフロレイキに居着いて、そこから全てが始まったマイケル池田氏の伝説は、永遠に語り継がれるものとなるでしょう。

Disco Time machine

Copyright © 2003 Miehar. All Rights Reserved.