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ディスコ・タイムマシーン(以下DTと省略): 麻布十番「Piano & Cigar Bar VIBES」に永遠の不良少年達が集結しました。ご覧の通り、ナオミ・グレースさんの魅力的なボーカルとピアノの生演奏で、既にBPMも絶好調となっております。今回はインタビューというよりも特別企画という事でノンストップ・ミックスでお送りします。まずは、このウェブサイトをご覧になっている方にもファンの方が大変多い、マイケル池田さんお願いします。 マイケル池田氏: そうですね、この話からしましょう。現在、「ビブロス」の澤村社長がやっておられる「青山キサナドゥ」に行った際、昔、私がやっていた「六本木キサナドゥ」の頃のスタッフだった方から突然声を掛けられて驚いた事があります。自分でも忘れかけていましたから。
私はDJに対してもね、うーん・・・一番難しいのは、DJは「職人さん」が多いんです。ターンテーブルで±(プラス・マイナス)があるのをご存じですか?ノーマルでかけたり、プラスでかけたり、マイナスでかけたり。目盛りがあるでしょ。ブラック系の曲をかけるテンポは、ボーカルの音が変わらない程度に、ピッチ・コントローラでわざと+2位でかけていました。なぜかっていうと、R & Bを聞いて育った人間と、東洋の人間である日本人はリズムの取り方が違って腰でリズムがとれないから、プラスにしろといって「縦ノリ」にしちゃったんです。 それから調理場の人達と一緒に、「マイケル茶そば」とか、いろんな名前をつけたメニューを作ったんです。僕はその店のオープン前に、ディスコだけじゃなくカフェバーから料理屋から流行っているお店を全部見に行きました。スタッフにも流行っているメニューがあれば探してこいと・・・「決まったら自分の名前をつけてあげるよ」ってね。「赤松うどん」とかね。発想がね、若いコと違うもんでね、調理場の人達とも仲良くしてね。 このあいだ、中野英雄さんと話したら「『一世風靡』は全員、マリオさんがいたから今があるんです」って言っていましたよ。 ヒップホップは若い人しか行かない店、飲む人、外人が行くお店、形が決まっちゃっているんですよ。その中に音楽を中心として主観、快感、いろんなふれあい、社交場としての店が良いですね。大人の人達、飛び入りのミュージシャンもふらっと立ち寄れる店としてね。 DT: (この写真)左側が澤村社長ですね。 ![]() ナオミ・グレースさん(ジャズ歌手): 10代の頃から、アフロにしてダンスを踊っていたという事を教えて頂きました。澤村社長はダンスがうまいんですよね。私、一度一緒に踊りました。私どうすればいいのかしらってね。 ♪Live: 「アマポーラ(ひなげし)」 DT: お店のパーカッションの方、ムゲンに出ていたそうですよ。マリオさんもパーカッション、ぜひお願いします!! マリオ山口氏: じゃあ、俺はコンガでいいから。 ♪Live: 「どうぞこのまま、どうぞやまないで」 ![]() 今、私がこうやってあるのは、マリオさん、紺野さん、澤村さんと知り合って、本当に踊りが好きで・・・原点は簡単なのです。女のコにモテるかなっていうのが原点なんですけどね。私はカウンターにいた頃、女のコとあんまり話ができなかったんです。学生時代は硬派というよりは、ワルだったんで、女のコとは恥ずかしくて、なかなか話ができなかったですね。 今、東京に戻ってきて5年なんです。それまで九州の方にいたんですけど、ある方から「東京にまた出て来いよ」と言われて出てきたんです。それで「ちょっと見ないうちにあか抜けなくなったな」って一言があったので、最新の情報を全部自分で調べてセンスを磨きました。若い人たちの中に順応して、もう一回若い人達の中に入っていくには、若い人達に溶け込んで友達になっていこうと思い、みんなと友達になりました。だから僕は彼らにも感謝しているんです。音楽はグローバー・ワシントンJr.とかクルセイダーズ、ミニー・リパートン、ギャップバンド、ホイットニー・ヒューストンが好きですね。そう、ボディガードっていう映画がものすごく好きでね。久保田利伸とか・・・あぁ、いいなぁと思いますね。ジャンルはやっぱりソウル・ブラック系が好きですね。2パック、スヌープ・ドギードッグ、ドクタードレ、とかね。 ディスコっていうのは音楽がかかる社交場だと思っているんです。人と人との出会いであり、情報発信であり、ルールはあるようであっちゃいけないんです。毎日空気が変わりますから。そのルールを決めちゃうとあとは小手先のテクニックになってしまいます。お立ち台とか曲のつなぎとかね。プログラム的なものは一つのブームであり、ディスコ本来の持ち味とは違うと思います。そういうものが、ディスコをダメにしたっていうのはあります。だからみんな一時期、カフェバーとかそういう所に流れてしまったんです。 映画の話をしましょう。 きっかけは、友人とはなしていた時に「マイケル、生まれ変わったら何になりたい?」と聞かれたんです。少し酔っていたので「いやぁ、日本は大嫌い!できたらハリウッドでロバート・デニーロかな?」って冗談で言ったんです。次の日、朝8時半頃に迎えに来たんです。「誰かな?」って言ったら、その友人でした。ジムにでも行くのかなって思っていたら、ある制作会社に連れて行かれて社長とお会いしました。「僕の大親友なんで、頼むから明日から主役に使ってくれ」と・・・一体、何を言い出すのかと・・・それがきっかけですね。 「マイケル、こんど俳優やるんだって?」忘れもしない去年の3月10日、澤村社長のお店で150人のパーティをやってくれたんです。ニューヨークのラップグループ「ウエスタン・グルーヴ」。唯一の日本人のメンバーが九州・小倉の僕の後輩なんですけど、ゲストで来てくれて歌ってくれたんです。清水健太郎さんも来てくれて「失恋レストラン」とか歌ってくれたんです。みんなが応援してくれ、みんなが私を支えてくれているんです。 みんな小さい頃は、野球選手になりたいとか夢があるじゃないですか。ある程度大人になったら、夢と経済とはかけ離れるからバランスをとろうとしますね。本当に夢が現実になる人と、夢が夢で終わる人がいます。本当に真剣に役者さんをやっている方に失礼だから、私は与えられた仕事は一生懸命やろうと。一年半役者をやり始めて、動機は友人が作ってくれました。 9月16日から9月24日の午前5時30分に撮影が終わりました。監督は森山政さん(田代まさしさん)、総監督は山本集さん、日本画家の方です。タイトルは「実録 なにわ女侠伝」。主演はホリプロの馬渕英里何さんです。キャストは他に、嘉門洋子さん、木下ほうかさん、榊英雄さん、清水宏次朗さんです。12月25日に発売されます。 それでは、田代さん、映画の話をお願いします。
紺野慧氏: 女かと思ったでしょ?名前から女性と勘違いされる事もあるんですよ。ソウル好きな人って不良かマニアックな人だからね。 ![]() ![]()
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マイケル池田氏 逝去
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六本木アフロレイキを起点とし、新宿ソウルトレインを経て、六本木キサナドゥ店長、マハラジャ梅田店長として多くの方達に親しまれ、実業家、プロデューサーとしても活躍された、マイケル池田氏におかれましては、2007年11月11日未明にご逝去されました。 ご冥福を心よりお祈りすると共に、謹んでお知らせ致します。 通夜は11月17日、告別式は11月18日 東京・臨海斎場にてしめやかにとりおこなわれました。当時のディスコ・ミュージックが静かに流れる中、江守 藹氏、テディ団氏、ラモス瑠偉氏、宇治田みのる氏、末木強氏、マハラジャOBの方達など各界著名人が多数参列し、作家・音楽評論家の紺野慧氏、澤村進氏などの感動的なメッセージが涙を誘いました。 紺野慧氏のメッセージに込められた、5人で車に乗って上京し、ひとりだけアフロレイキに居着いて、そこから全てが始まったマイケル池田氏の伝説は、永遠に語り継がれるものとなるでしょう。 |
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