MONKEY DANCE (1965) |
昭和40年9月26日 「朝日新聞」より引用 |
秋の防犯運動初日の二十五日夜、東京・渋谷で開かれたモンキーダンスパーティーに、警視庁防犯部員ともぐりこんだ。「悪の温床か、青春の爆発か」と話題を呼んでるこの種のパーティー。この夜も、一心にダンスだけを楽しんでいるものも多かった。だがハッキリと不良になりきっている者も目立った。これが、なんといっても、全体の印象を悪くしていた。渦巻く大かん声お巡りさんもフラフラエレキギターに合わせ「ゴーゴー」の掛声もにぎやかに、サルのように単純な動作を繰返すダンスに心を奪われている少年少女の一団のことだ。銀座にあった、そのダンスの専門ホールは、この十日につぶれた。ダンスホールに未成年者ははいれないのに、そこは少年少女でいっぱいだったため、築地署が強く補導を行なったからだ。追われたモンキー族はあちこちの貸ホールや会館で開かれる不定期のパーティーに逃げた。 地元の警察に「開催届」を出し、税金を払いさえすれば、パーティーはだれにでも主催できるし、未成年者の入場も自由だ。たとえば、渋谷署に出ている届は十月が十三回、いずれもモンキーダンス専門だ。料金は二百五十円から最高四百五十円、予定の人数は二百人から最大千五百人。二十五日夜のパーティーは品川区の工員(二〇)が主催、目的は「学校友だちの親ぼくのために」とあり、料金百円。 狭い円形のホールは約千五百人(渋谷署調べ)の少年少女でギッシリ。ガンガンかき鳴らすギター、手拍子、足拍子の大音響が顔をたたくよう。前後左右に動ける余地はまったくなく、千五百の頭がいっせいに上下するだけ。曲がすすむと叫び声をあげ合唱する。まるで、ウメキだ。そのすさまじさ、ものすごさ。どの顔も無我の境地。 「こりゃ、かなわん。頭が痛い。血圧があがる」補導のお巡りさんまでフラフラしている。 踊っている数人を連出し、耳もとで「あれで楽しいのか」と大声で聞いた。「モチヨ。シビレルワ。小さな工場で安給料でかせいでるんだもの、たまにはね」と十六歳の少女。「試験勉強しろとうるさいんだ。ムシャクシャして」と中学三年の少年。 「モンキー族イコール非行少年とはいえない。無邪気な子も多いわ。それだけに心配なの」と婦警さん。 入口に渋谷税務事務所員が二人、苦々しそうな顔で立っていた。その手もとにざっと三百枚の半券。いずれも税務署の検印がなく、料金も鉛筆で消してあって二百円、三百円などまちまちに書いてある。このようなインチキ券はどこのパーティーでも多い。 背後に暴力団の影無料パーティー姿消すいずれにしても、十代の少年少女千五百人がまくクダは盛大である。聞きとどけてやりたいようなクダがあるにしても、いろいろな心配が絶えないかぎり、モンキー族とお巡りさんの追っかけっこは当分続きそうだ。 |