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MUGEN (1968)

叶「界文化社刊
「ザ・ビッグマン」207号より引用

MUGEN伝説

“ナチュラルハイ”になれる場所だったね

 三島由紀夫、川端康成、澁澤龍彦、田辺茂一、丹下健三、小沢征爾などの各界大御所たち、若い世代といわれていた横尾忠則、篠山紀信、加賀まりこ、安井かずみ、三宅一生など、こんな大先生たちが毎夜サイケデリックなファッションに身を包んでR&Bしていた店。アイク&ティナ・ターナー、サム&デイブ、コン・ファンク・シャンなどのド迫力ライブの最前列で、タイガースやスパイダースやジャズ界の面々がのりにのっていた、という熱狂の店。チャカ・カーンがいたルーファスやオハイオ・プレーヤーズのように、スゲ―ッ!と思ったバンドがしばらくするとビルボードのトップ・テンに赤マル急上昇で登場してくる・・・・・・といったことがよくあった店。世界中の雑誌で特集され、米国映画の舞台となり、国連選定の「世界の動く7ヶ所」の1つに選ばれた店――そんな超刺激的な店が赤坂にあったのである。その名を『MUGEN<ムゲン>』。まだディスコという名称が一般化する以前の1968年に浜野安宏がプロデュ―スして誕生したディスコ・クラブは、18年間にわたって伝説を創造し続け、'86年に消えた。この店の豪華な常連の一人であったイラスト界の大御所宇野亜喜良さんは語る。
「特にオープンから半年は毎夜通った。当時32〜33歳。油膜を使った動くライティングが印象的で、内臓を拡大したような非常に生理的な感じの照明だった。ムゲン空間は薬物的な幻想の世界だったね。クスリをやらなくてもハイになれる“ナチュラルハイ”な場所だった。それがサイケデリックということなんだんね。服装はパンタロン風にすその広がったベルベットやデニムのパンツ。それに女ものみたいなブラウスって感じ」
 多分、日本の戦後史で唯一語り継がれるべき店なのである。

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